うんちく
2015.07.01
どうして「点心」と「中国料理」の店は分かれているの?
年間約2千万人もの人が訪れるという横浜中華街。その目的といえば、おいしい中華街グルメを満喫することでしょう。最近の横浜中華街で目立つのは、「点心」のお店。「中国料理」とはどう違うのか、なぜ点心のお店が増えたのかをひもといてみましょう。
どうして「点心」と「中国料理」の店は分かれているの?
横浜中華街を訪れる人たちの目的は数あれど、誰もがその最初に挙げるのは「おいしいものを食べたい!」ということではないでしょうか。
わずか500メートル四方のエリアに250店舗もの中国料理店がひしめき合う、世界でも類を見ないグルメタウンであることが横浜中華街の大きなセールスポイント。その各店も、それぞれが個性を競い合い、さまざまなグルメを提供することによって、横浜中華街の魅力をさらに高めています。
そんな横浜中華街で、このところ目立っているのが「点心」のお店。これまでの「中国料理」の店とはメニューも販売スタイルも異なっているようです。
そこで、点心とは何かをチェックしながら、横浜中華街に点心や中国料理のお店がひしめき合うことになった理由を含めてひもといていきましょう。
メインディッシュの有無が「点心」との境目?
「点心」はテンシンと読み、中国料理の一種に分類されます。一方「中国料理」は、前菜からスープ、そしてメイン料理、食後のデザートを含めたほかの料理のすべてを指しています。「点心」は、そのうちのスープとメイン料理を抜いたものの総称です。
「点心」は、味によって大きく2種類に分けられます。1つは甘みを感じる「甜点心(てんてんしん)
と呼ばれるもの。あんまん、ゴマ団子、月餅、ドライフルーツが入った炊き込みご飯、蒸しパン、杏仁豆腐、マンゴープリンなど、形や料理法に関係なく、甘いものを指します。
もう1つは「鹹点心(かんてんしん)
と呼ばれる、甘くないものを指します。鹹は「塩辛い味」を意味しますが、甘くなければ鹹点心に属します。ギョウザ、シュウマイ、豚まん、春巻き、ちまき、大根餅、小籠包(ショウロンポウ)、ラーメン、チャーハン、おかゆ、ワンタンなどはすべて鹹点心です。
おやつ代わりだけが点心じゃない?
点心をいつ食べるのかは、はっきりと決まっているわけではありません。中国では、朝食代わりの軽い食事を点心で済ませることも多いようですが、その場合には早点といいます。
また、おやつの時間は午点、夜食の場合は晩点といい、メインの食事ではなく間食で供するものを点心と総称しているようです。
飲茶という食習慣が「点心」を「中国料理」から切り離した?
点中国の広東省や香港では、清朝の時代(1644〜1912年)に中国茶とともに点心を楽しむ飲茶(ヤムチャ)の習慣が一般に広まりました。これは料理店がメイン料理だけでなく点心にも力を入れ、朝から営業することで朝食代わりに点心を提供するスタイルが受け入れられたことによるものです。
広東省や香港あたりの地域は、シルクロードの拠点として発展してきた歴史のあるビジネス・シティ。居住者も多忙なビジネスパーソンが多かったため、コンビニエンスな点心スタイルが生活スタイルにマッチしたのでしょう。
こうした環境を背景に発達した飲茶では、メイン料理抜きで点心を食べるスタイルが定着しました。そして、ゆっくりとメイン料理を楽しみたいときは「中国料理」を供するお店、気軽に手早くというときは「点心」の専門店というようなサービスごとの差別化が行われ、点心と中国料理の棲み分けが進んでいったと考えられます。
横浜中華街でも進む、点心と中国料理の棲み分け
横浜開港当時、横浜中華街には中国料理店が数件しかなかったようです。外国人居留地制限の撤廃や日清戦争、さらには関東大震災などによって、街の人口構成や役割が変化していき、それにともなって中国出身者が得意とする料理をビジネスとして扱う店が増えていきます。
横浜中華街がグルメタウンとして発展するもっとも大きな転機は、第二次世界大戦直後。物資が不足していた日本国内とは異なり、故郷の中国から食材を調達することのできた中国出身者たちは、得意の料理の腕を振るってビジネスを成長させていきました。
そして、1972年の日中国交正常化以降は、好景気の波にも後押しされ、路地の奥にまで料理店がオープンして人気を集めるようになります。
こうして「中国料理」を供する料理店が密集することにより、それぞれの個性によって棲み分ける必要性も高まってきたわけです。
横浜中華街で「点心」のお店が目立つようになってきたのも、こうした歴史的な背景とともに、流行を敏感に感じ取った中華街ならではのビジネスセンスが関係しているのです。