世界チャンピオンの本格中国料理店

横浜中華街をもっと知ろう〜中国に関する豆知識〜

知識

2015.11.01

「占いの店」が横浜中華街に増えているのはなぜ?

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500メートル四方の限られたエリアに、異国情緒漂う店舗が軒を連ねているのが魅力のひとつでもある横浜中華街。なかでも目立っているのは中華料理店の多さですが、ここ最近、横浜中華街で目立つようになってきたのが「占いの店」です。
横浜中華街で「占いの店」が増えているのは、世の中の占いブームの影響もあるようです。しかし、なぜ横浜中華街なのでしょうか? その謎に迫ってみましょう。

中国と「占い」の関係を知る

古代から人間は、太陽、月、星などの位置や動き、または石や動物の骨などの割れ方で、吉凶を判断する方法を編み出してきました。いくつかの方法は体系立てられ、現在でも広く用いられています。なかでも手相占いは、インダス文明が栄えていた3,000〜5,000年前の古代インドで始まったといわれています。
その後、西は古代エジプトや古代ギリシア、東は古代中国へ渡り、手相占いはそれぞれの地で独自の発展を遂げることになります。日本に伝えられたのは平安時代で、中国で易学を取り入れて発達したものが仏教とともに貴族階級の間で広まりました。一般庶民が手相占いに親しむのは、江戸時代になってからのことです。

手相占いの基本とバリエーション

インドから東へ渡った手相術は、中国で陰陽五行思想や天地人三才の思想を取り込み、人相見の一部として広まっていきました。
陰陽とは、中国最後の詩集である『詩経』などにも見られ、もともとは天候を表現する言葉でしたが、後に万物の性質を二元化する概念を示すものとなりました。五行思想とは、万物が五行、すなわち、木・火・土・金・水という5種類の基本要素で構成されるという考え方です。
この2つが春秋戦国時代に合体して、森羅万象に関する、より複雑な分析を行うことが可能になりました。天地人三才も同様に、天と地と人の3要素(三才)を万物の役割と関連づけ、世の中の動向を説明しようとするものです。
中国で発達した東洋手相占いでは、手のひらの「丘」と呼ばれる盛り上がった部分がどのように発達しているか、どんな色つやをしているのかを判断材料とするのが基本です。このほか、掌線と呼ばれる掌のシワのうち、感情線を天、生命線を地、知能線を人と関連づけ、陰影によるバランスや強弱を読み取って易断につなげていくのが一般的です。

東洋手相占いと西洋手相占い

インドから東へ渡った手相占いに対して、西へ渡った手相占いは、迷信や流民の風習としてとらえられ、あまり注目されることはありませんでした。しかし、14世紀ごろになると占星術の理論を結びつけて体系化され、15世紀には一気に民衆からも支持され、地位を確立します。
ところが、18世紀になって科学が発達すると、再び手相占いは迷信のたぐいと非難されるようになってしまいます。この流れが変わるのは、科学や医学の理論を取り入れた「手相学」の確立と、オカルティズムを取り入れて人気を博した「西洋手相術」が流行する19世紀になってからです。
現在、日本を含めて世界で「手相占い」として一般的なものは、占星術の理論を基に展開した西洋手相占いです。しかし、横浜中華街では中国由来のエリアである特色を活かすため、あえて東洋手相占いの特色を打ち出した「占いの店」が中心となって、その勢力を広げています。
また、それぞれの占いの店では、歴史的な占い方法に固執することなく、訪れる客のニーズに応じて、手相占いにほかの占いをプラスして提供することも少なくありません。相性占い、算命学、九星気学、周易活断、四柱推命、タロット、方位占い、姓名判断、しあわせ占いなど、店や占い師によって独自のサービスが加えられているというのが現状です。

「占いの聖地」という新たな魅力を発信

横浜中華街に占いの店が増える理由のひとつに、ここがパワースポットと考えられていることが挙げられるでしょう。関帝廟と媽祖廟は、日本国内でも有数のパワースポットとして知られています。街の区画が風水にのっとって整備されていることも、占いの御利益があるのではないかという印象を与える要因になっているようです。
こうした噂が噂を呼んで、全国から占いの店を訪ねるために横浜中華街へやってくる人が増えているというわけです。エキゾチックな街並みとおいしい中華料理に、縁起のよさと、占いの聖地という価値が加わって、横浜中華街は新たな魅力を発信するエリアへと変貌を続けています。

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