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観光

2016.01.01

日本で異国気分を味わうなら、横浜山手で洋館めぐり

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開港都市として多くの西洋人が住むことになった横浜。山手地区は、主に商社を営む外国人たちが居を構えた場所で、今では観光地にもなっています。1860年代、多くの貿易商が、本国をしのんでこの地に邸宅を建てました。
生活様式のまるで違う日本において、少しでも自国の雰囲気を味わいたいと思ったからでしょう。日本にいながらにして海外旅行の気分を味わえる、横浜山手の洋館めぐりはいかがですか?

「ベーリック・ホール」と「エリスマン邸」

異国情緒あふれるたたずまいを残す、横浜山手地区の洋館。観光にはうってつけなだけでなく、学術的に価値のある建築物が多く、指定文化財になっている洋館もあります。外国人墓地にほど近い「ベーリック・ホール」と「エリスマン邸」。どちらも個性的な建物で洋館めぐりには、ぜひ訪れたおきたいスポットです。

スパニッシュスタイルの「ベーリック・ホール」

1930年にイギリス人貿易商ベーリック氏の邸宅として建築された洋館。現在では「ベーリック・ホール」となり、音楽ホールとしても使われています。ベーリック氏が亡くなったあと、1956年には山手教会に寄贈され、2000年まではインターナショナルスクールの寄宿舎として利用されていました。戦前の山手洋館のなかでは最大規模を誇ります。
アメリカ人建築家J.H.モーガンの設計で、スパニッシュスタイルの建築様式が特徴的です。アメリカ大陸に移住したスペイン人による住宅がモチーフになっていて、当時アメリカで流行していました。イスラム建築によく見られる十字型の窓も装飾性が高く、美しい外観を形づくっています。

現代建築の父、レーモンドの設計「エリスマン邸」

「エリスマン邸」は、チェコ人の建築家A.レーモンドによって設計されました。生糸の貿易商であったスイス人フリッツ・エリスマンの邸宅として建てられた白亜の洋館です。煙突や屋根裏の明り取りの窓、上げ下げ式の窓など洋館らしい意匠ながら、すっきりとしたモダンなデザインは、当時としては目新しいものだったようです。
暖炉のあるリビングルーム、庭を臨む大きなガラス窓のあるサンルームなど、当時のまま再現されています。建物2階には横浜山手の洋館にまつわる資料が展示されています。写真や図面もあるので、洋館について知識を深めたい方におすすめです。

「山手イタリア山庭園」で外国人の暮らしを体感

「外交官の家」、「ブラフ18番館」と呼ばれる洋館は、もともとは別の場所にあったものを「山手イタリア山庭園」に移築し、一般公開されています。外観だけでなく内部も復元され、当時の雰囲気や外国人の暮らしぶりを体感できるのも楽しいところ。洋館めぐりのルートにぜひ組み込みたい場所です。
「外交官の家」は、アメリカ人の建築家によって設計されました。日本人外交官のための邸宅として建てられたアメリカン・ビクトリア調のデザインで、1910年の建設当時は東京都渋谷区南平台にありました。2階建てながら、特徴的な塔もあります。室内には、当時流行していたアールヌーボーの影響を受けた内装も再現され、家具や調度品も残り、外交官の暮らしぶりを垣間見ることができます。

日本人の設計による洋館「山手234番館」

山手にある洋館は、外国人の設計技師によるものだけではありません。日本人の設計による洋館も建築されています。外国人向けの集合住宅として1927年ごろに建築された「山手234番館」はそのひとつ。日本人建築家である朝香吉蔵の設計です。

関東大震災で横浜を離れた外国人を呼び戻すために設計された住宅で、中央玄関をはさみ左右に2戸ずつ計4組が入居できるようになっています。1980年ごろまで実際にアパートとして使用されていました。ヨーロッパでよく見られる神殿スタイルの列柱が正面のポーチに並び、印象的な外観を作っています。

横浜観光に組み込みたい洋館めぐり

横浜山手の洋館めぐりは、歴史的にも価値の高い建築群を観ることができます。一般公開されているものも多く、観光として気軽に訪れて見学することができます。日本にいながらにして異国情緒にひたれる山手地区の洋館めぐりは、横浜中華街や港も近く、人気の観光スポット。緑も多く、海を臨む高台の立地も風光明媚で、日常生活からちょっと離れたいときに、ぜひ訪れてみませんか。

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