うんちく
2016.05.12
美しいチャイナドレス。なぜスリットが入っている?
華やかさと活発さを兼ね備えたチャイナドレス。女性のボディラインを強調するシルエットや、細かな刺繍といった美しい装飾性から高い支持を得ています。
しかし、かつてのチャイナドレスは、現代のようなぴったりとしたデザインでなく、ゆったりとしていて雰囲気がずいぶん違っていました。チャイナドレスが現代のような形になったのはいつからなのでしょうか?
チーパオと呼ばれた民族衣装
日本でチャイナドレスと呼ばれている服は、本場・中国では「旗袍(チーパオ)」と呼ばれています。旗袍は、“旗の服”という意味を持っており、そのネーミングは、旗袍を着ていた満州族の政治的背景が由来しているようです。
旗袍は、もともと満州族の民族衣装。中国最後の王朝である清を建国した満州族は、当時、中国で強い勢力を持っていました。満州族の軍人は「旗人」と呼ばれ、満州族の上流階級にあたる存在。彼らは8色の旗を使って軍隊を分け、政治を行っていたといいます。彼らが着ていた服は、旗人が着用するものだったことから「旗袍」と呼ばれるようになりました。
馬に乗りやすいように作られた
旗人たちの普段着であった旗袍ですが、貧富の差がわかるようにある工夫が施されていました。その工夫はスリットです。上流階級はスリットを開け、貧しい人はスリットを全く開けなかったといわれています。また、色彩や模様、素材などにも違いがあり、身分に合った衣装が選ばれていました。
上流階級にのみ許されていたスリットは、実用的な理由で付けられました。
満州族は、草原に住む騎馬民族。女性も馬に乗って移動する生活でした。ワンピース型の服を着て女性が馬に乗るのは窮屈なもの。馬で狩りに趣き、そして生活をするためには、旗袍に切り込みを入れて動きやすさを高める必要がありました。
スリットは、女性の脚のラインを美しくみせるためのものではなく、旗袍の実用性を上げるために考えられた満州族の知恵の結晶だったのです。
現代のチャイナドレス
現代の中国人女性にとって、チャイナドレスは「フォーマルウェア」「礼服」にあたります。
当初の旗袍は、コートとしての役割も持っていたことから、かなり厚みがあり、ゆったりとしたシルエットでしたが、フォーマルウェアとして用いられるようになった1930〜40年頃からボディラインが強調されるぴったりとしたシルエットに変化しました。
その美しさは世界中から注目され、有名ブランドがモチーフとして取り入れたり、中国本土でもチャイナドレスにヒントを得た新たなオリジナルデザインとして展開されるなどしています。チャイナドレスは民族衣装の枠を超え、ファッションの一つとして今後もさらに進化していくことでしょう。
横浜中華街でチャイナドレスを楽しんで
実用性を考慮してつくられたチャイナドレスでしたが、今では中国の華やかさを象徴するアイテムになりました。横浜中華街に来た際は、ぜひチャイナドレスを着てみてはいかがでしょうか。購入はもちろん、チャイナドレスを着て撮影ができる写真館もあります。チャイナドレスで気分を高めてから食べる中華料理は格別なものです。
横浜中華街でチャイナドレスの魅力をぜひ体験してみてください。