グルメ
2016.08.12
中華料理の定番「天津飯」は日本発祥の料理だった
ご飯の上にのせたカニ玉と、あんの相性がたまらない天津飯。日本では老若男女に愛される定番料理ですが、実は本場中国には存在しないのだとか。では、天津飯はどのようにして生まれたのでしょうか。今回は、天津飯が誕生したルーツを調べてみましょう。
中国ではご飯とおかずは別々に食べる
日本の中華料理店では、天津飯や中華丼などの丼物は人気の高い料理ですが、中国ではご飯とおかずは別々に食べることがほとんど。そもそも、ご飯の上におかずをのせて食べるのは日本人らしい発想で、江戸時代の中期以降には、おかずをご飯にのせたり、汁気のあるものをかけてぶっかけ飯にしたり、天丼や鰻丼のようにタレを染み込ませたりと、さまざまな楽しみ方をしていたようです。
中国でご飯にのせて食べる丼物といえば「蓋飯(ガイファン)」が有名です。また、汁気のある炒め物をご飯にかける「燴飯(ホイファン)」もありますが、これらは手早く食事を済ませたいときの食べ方。中国の家庭料理にあたるもので、お店で食べるような本格的な中華料理ではありません。
天津飯の元といわれる料理「芙蓉蟹」
日本生まれの天津飯ですが、天津飯の卵の部分は広東料理の「芙蓉蟹(フーヨーハイ)」に相当すると考えられています。芙蓉蟹はいわゆるカニ玉で、中国ではこれをご飯にのせて食べることはあまりありませんが、日本の天津飯の元であるといわれています。
また、芙蓉蟹以外にも、天津飯に似た料理が。香港では卵焼きとご飯と組み合わせた料理「香煎芙蓉蛋飯(芙蓉煎蛋飯)」があります。香煎芙蓉蛋飯はカニを使っておらず、あんもかけていませんが、中華料理のなかでは天津飯に比較的近い料理だといえるでしょう。
天津飯のルーツは東京?大阪?
では、天津飯が誕生したルーツに迫ってみましょう。天津飯のルーツには2つの説があり、東京の「来々軒」と大阪の「大正軒」のどちらかが発祥の地だといわれています。どちらが正しいかは定かではありませんが、それぞれに誕生のエピソードが存在しています。
東京の来々軒はラーメンを初めて日本に持ち込んだことでも知られる有名な中華料理店(1994年閉店)。来々軒のコックが、客からの「早く食べられるものを」という要望に応えて生まれた料理だとされています。カニ玉をご飯の上にのせ、酢豚のあんから考案した甘酸っぱい醤油あんをかけたものを天津飯として提供したそうです。
一方、大阪の大正軒で生まれたとされる天津飯は、戦後の食糧難に中国天津市の人たちの食習慣であった「蓋飯」をヒントに作られたものでした。カニ玉をご飯の上にのせ、あんをかけたというスタイルは東京のそれと同じです。
天津飯はそのルーツと同様に、味も地方で大きく分かれています。関東では甘酢あんかけ、関西では醤油あんかけが一般的で、同じ料理でも味が異なる傾向があります。
ルーツを知れば、もっとおいしくなる!
天津飯は丼物が好きな日本人が生み出した料理。江戸時代から愛されてきた丼物のバリエーションのひとつ、“あんかけ”という新たなスタイルの丼物だったのです。多くの人が中華料理だと思っているのかもしれませんが、日本発祥の料理だからこそ、ここまで日本人に愛されているのかもしれません。
国内で食べられる中華料理には、日本人向けにアレンジされたものや日本で独自に考案されたものが他にもたくさんあります。中華料理を食べるときは、それぞれのルーツを語りながらいただくと、いつも以上に味わい深いものになるかもしれませんね。