うんちく
2016.11.02
横浜が発祥の地、国産トマトケチャップ
日本で初めてつくられたモノやコトの多い横浜。その中には、いまや日本の台所に欠かせない調味料・トマトケチャップもあるのだとか。もともとはアメリカのハインツ社が生み出したトマトケチャップですが、日本初となった国産トマトケチャップは横浜発祥なのです。今回は、国産トマトケチャップの誕生秘話に迫ってみましょう。
清水屋のトマトケチャップ
ハンバーガーやオムライス、フライドポテトなどさまざまな洋食と相性抜群のトマトケチャップ。日本でもおなじみの調味料ですが、その発祥はアメリカ。ハインツやデルモンテをはじめとした有名企業がアメリカを拠点とし、世界中に大きくシェアを広げています。
トマトケチャップが日本に入ってきたのは明治時代。西洋料理と一緒に広まり、親しまれるようになりましたが、国産のトマトケチャップが製造されたのは1896年。西洋野菜を栽培していた清水與助が製造し、「清水屋」という屋号で販売されたものが、日本初のトマトケチャップといわれています。私たちにとってはおなじみのカゴメトマトケチャップが発売されるのは、清水屋のトマトケチャップが発売された10年以上経ってから。この事実を見ても、清水與助のチャレンジが相当早かったことが伺い知れます。
栽培した野菜を有効活用できないか?
日本で西洋野菜が広まるきっかけとなったのが1859年の横浜開港。1862年に居留外国人ローレイロが菜園をつくったのを参考に、多くの人が畑を耕し、西洋野菜を栽培するようになりました。西洋野菜づくりは近隣の農村へも拡大するようになります。そのひとつが子安でした。
子安の土壌は西洋野菜の栽培に適していたので、多くの収穫が見込めるようになりました。加えて、東京と横浜の中間地点にあたる子安は、東海道に面していることから両都市への集荷に便利な場所。こうした理由から、明治時代半ばには、子安の栽培農家はおよそ80戸まで拡大しました。
清水與助も西洋野菜を栽培していた農家のひとり。栽培した作物を有効に活用できないかと考えた結果、トマトケチャップにたどりつきました。横浜の外国人スポーツクラブの料理人・細貝音八の指導のもとトマトケチャップのつくり方を学び、トマトケチャップ製造会社「清水屋」を立ち上げたのです。
復刻された清水屋ケチャップ
国産初のトマトケチャップは、いまもその味を楽しむことができます。
清水屋でトマトケチャップづくりの手伝いをしていたという清水與助の孫・金子とよ子さんの記憶や資料をたどり、復刻版が販売されているのです。
ナツメグの風味がきいたトマトケチャップは、有機トマトを使用した極上の一品。まずは、ウインナーやフライドポテトにディップしてそのままを味わって。さらにナポリタンなど料理に使えば、おいしさがアップすること間違いなしです。
インターネットでお取り寄せが可能なので、ぜひ横浜発祥の味を楽しんでみてくださいね。ラブと横浜ライフル協会が組織され、11月8日には横浜ライフル協会による初の競技会が開催されています。
トマトケチャップゆかりの地を訪ねて
国産トマトケチャップ発祥の地である横浜には、その証となる発祥の地の碑が建てられています。第一京浜国道の子安ランプ入口交差点付近にあるので、観光の途中に立ち寄ってみてはいかがでしょうか。こんなところに記念碑があるのかと驚かれるはずです。
横浜の観光スポットはいくつもありますが、こうした記念碑を巡るのもなかなかオツなもの。横浜市内には、ほかにもさまざまな記念碑がたくさんあるので、ちょっと気にかけて見てみると、いくつも発見できるでしょう。