観光
2017.01.05
山下公園に浮かぶ博物館船、氷川丸
山下公園に停泊している氷川丸。横浜港から洋行し、大活躍した船が、どのような時代を歩んできたのかご存知ですか? その素晴らしい働きぶりや色褪せぬ美しさは世界中の人々の心をつかみ、現在は国の重要文化財に指定されるほど価値ある存在となっています。
今回は、博物館船として横浜市の観光スポットになっている氷川丸に迫ります。
新型の豪華な貸客船として誕生
氷川丸は、横浜にあった造船所・横浜船渠(せんきょ)で造られた1万トン級の貸客船です。横浜船渠は、現在の三菱重工業株式会社横浜製作所です。
船会社の日本郵船は昭和初期ごろ、北太平洋横断シアトル航路を就航させるために新型貨客船を必要としていました。その一船として製造されたのが氷川丸です。
氷川丸の船内はまさに豪華絢爛そのもの。当時の船はその多くがイギリス古典様式でしたが、氷川丸はアール・デコを基調としたフランス製の内装デザインを採用。デザインが画期的だということで非常に注目されました。
また世界を旅する氷川丸は、インテリアだけでなくサービスの良さでも高く評価されました。
氷川丸の乗船客には、チャールズ・チャップリン、イギリス国王ジョージ6世の戴冠式から帰国の途にあった秩父宮夫妻、訪米芸術使節団一行としてアメリカから帰国する宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)など、そうそうたる顔ぶれが並びます。
中でもチャップリンに関するエピソードは今も語り継がれるほど。来日したチャップリンが日本橋で食べたてんぷらを深く気に入ったため、氷川丸のコックがその店の味をマスターし、船内で揚げたてのてんぷらを提供したのだとか。こうした心尽くしのサービスが多くの乗船客を魅了したのでしょう。
国の重要文化財に認定された横浜の観光スポット
華やかな世界で活躍していた氷川丸ですが、太平洋戦争で状況が一変します。
豪華絢爛がウリであった貸客船は、戦中、病院船として運用されるようになります。そして戦後は、復員輸送を行うための引き揚げ船として使われました。戦争では多くの船が海難で沈んだといわれていますが、氷川丸は無事に生還しました。
貨客船として、病院船として、さまざまな役目を終えた氷川丸は、現在、横浜市の山下公園前に係留されています。戦前より現存する極めてまれな日本の貨客船であり、優れたインテリアを誇る氷川丸は、貴重な産業遺産として評価され、その価値の証として2003年に横浜市の有形文化財の指定を受けました。
氷川丸は現在、館内が一般公開されており、港に浮かぶ博物館船としてこれまでの歩みを今に伝え続けています。さらに横浜市民としてはとても嬉しいことに、氷川丸は2016年8月17日に国の重要文化財に指定されました。
オープンデッキでみなとみらいの景色を眺めよう
せっかく観光で山下公園を訪れたなら、係留する氷川丸を遠くから眺めるだけでなく、博物館船の中に入ってみることをおすすめします。
当時の豪華な装飾やインテリアを残した館内は通常見学できますが、オープンデッキが開放されるのは土曜日・日曜日・祝日のみです。歴史と重厚感あふれる氷川丸のオープンデッキに立って、横浜マリンタワーや山下公園、そして美しいみなとみらいの景色を楽しむことができる少ない機会なので、オープンデッキの開放日を狙って訪れてみてはいかがでしょうか。
また、氷川丸の歴史をもっと知りたいと思った方には、月に2日程度のペースで開催されている「氷川丸船内ガイドツアー」がおすすめ。公式サイトで開催日をチェックしてみてください(予約不要)。
氷川丸のウンチクを語りながら中華料理を楽しんで
氷川丸の名前は、大宮氷川神社に由来するそうです。ブリッジの神棚には氷川神社の祭神が安置されており、博物館船となった後も氷川神社を祀っています。
そうした氷川丸ウンチクを知っておき、横浜中華街で友達と中華料理を囲んでいるときに披露すると盛り上がるかもしれません。横浜中華街から氷川丸は、徒歩5分程度の距離にあるので、食事の後で散歩に訪れてもいいですね。